感情を出すのが苦手

私は感情を表現するのが苦手です。というか、感情自体を封印していたことも多いです。それゆえに生きづらさも感じます。

他人から悩み事を相談されると、
そんなこと誰でもあるよ。
それはなんとかできる。するしかないでしょ。
それはXXXすればいいでしょ。
と、いう気持ちや思考が先立ってしまって、その方の悩みに寄り添ってあげられません。

複数人での雑談が苦手で、ミーティングや講座等の前後や休み時間が苦痛です。何を話して良いのかわからないし、周りの人がしている雑談に興味が持てないのです。冷たいようですが、「それ話していて楽しい?」と思うこともあります。

目の前のやるべきことをやるということには集中できますが、そこでの楽しみや人との交流はあまり馴染めないような気がします。

大学に入学して、いろいろイベントに参加した時に、本当に話すことが無いと実感したことを覚えています。何も話したくない。声をかけて欲しいとは思うけれど、声をかけることはしないし、みんな将来のことを語っているのに、何も語ることなどない。

なぜだろう。

さいころから親や先生の顔色を窺って言動をしてことも一因かも。

でもそれはなぜだろう。

親や先生に、誉められたい。怒られて傷つきたくない。という気持ちが強かったのではないか。

でもそれはなぜだろう。

末っ子だったから、上の兄弟が何をすれば怒られて、何をすれば誉められるか見てしまっていたから。子供の頃、何かの時に怒られたことがとてもショックでそれを避けようとしたから。何をやるにも兄弟の後ろをついて行っていれば安全でいつもそうしていたから。たぶん、そんなところだろうと思います。

また、親にとっては3人目の末っ子に対して子育てに慣れができていたことや、3人子供を抱えて忙しかったこと、上の兄弟に任せていたことなど、親からしたら子どもの話をゆっくり聞く時間もなかったことも理由かもしれませんし、そもそも両親もじっくり自分の親と話せる子供時代を送ってこなかったのかもしれません。

そんなことを考えることが多くて、子供時代の記憶は、なんだかうれしい・楽しい思い出より、嫌な思い出の方が多くて、「戻れるなら何歳に戻りたいですか」という質問にはいつも「戻りたくないです。今が良いです。」と答えます。何か失敗した自分の事を思い出すのも嫌だからです。

もっと感情を自由に表現できたら、楽になるのになー。

今からでも遅くないかな、と思って少しずつでも表現して行きたいと思っています。

笑顔の裏

オンラインセミナーを受講しています。話し方セミナーみたいなものです。

最初から、とても笑顔が素敵でバイタリティーあるように見えるおばさん(失礼)な印象でした。

先日は第5回目で、自己紹介を90秒でするときに、ご主人との結婚の経緯を話してくれました。

それ自体はとても楽しくて、その方らしいな。と思ったのですが、ご自身のその後の感想はがとても意外でした。

自己開示が苦手で、あまり人に話さない内容です。

え。結婚して多分30年以上たつと思うのですが、結婚の経緯などは今更必要が無いから話さないならわかりますが、その楽しい結婚の経緯をあまりに人に話さないって??話したくないのかしら。。。

と思ったのです。人は笑顔の裏に何を話したくて、何を話したくないのかは、わからないものだな。と思いました。

私はホームレス

お父さんが日本人、お母さんが中国人、ご本人は中国生まれ、ほぼ中国とカナダで成人まで過ごして、成人後はずっと日本に住んでいる日本国籍の方が会社にいます。

お父さんとお母さんがロシア語研究だったから、小さい時には家ではロシア語を使っていたとか。

得意な言語は、中国語、英語、日本語、ロシア語の順番らしい。

人にはインターナショナルですね。とかマルチリンガルで良いですね。と言われるが、日本では中国人と言われ、中国では日本人と言われ、ご自分としてはどこが自分の出身国かわからないから、私はホームレスです。と人に言ったりします。

と話してくれました。

子どもにはそんな思いをして欲しくないので、日本人と結婚してずっと日本で生活しています。

とも言っていました。

日本人よりも日本国籍を愛する方です。日本語は流暢ですが、やっぱりネイティブとは違います。そして言葉以上に、やっぱり表現が日本人よりもストレートです。「以心伝心なんて無い。と家族にも言います。言わないとわかりませんよ。」と。

ダイバーシティを体験しています。

日本人論って

よく見かけるのは、
日本人ってXXXだよね。
という、たいていの場合はアメリカ人と比較しての論評。だから日本はダメなんだ。とか、このままだと日本はダメになる。とか。

自国民について、ネガティブなところを論評する風潮は日本だけなのだろうか。それとも他の国でも同じような風潮があるのだろうか。とモヤモヤするのです。

論評するのは良いが、たいていの場合は、自分は違うけど、そういうのが問題だと思っている、そういうのが日本人だよね。
みたいな、上から目線な表現。それを論評してどうするの?って。

今日読んでいた、谷本真由美(めいろま)さんの「不寛容社会 」と言う本では、ご本人がいろんな国に住んだことがあるので、少しネガティブな日本人の面を他の国の人も持っているという箇所が、やっぱりなー。と思えてよかった。ムラ意識が強いのは日本ばかりじゃない。イタリアもスペインも、そしてインドそうらしい。

 

このホッとする気持ちの正体は何だろうとも思うが、とにかくホッとしました。

採用時に気を付けたい事

会社勤めをしていて業務以外で大変なのは、とにかく人事です。

採用して仕事を覚えてもらってこれから本領発揮してもらいたいと思ったところで辞めると宣告されてしまうのはまだ良い方で、採用直後から業務成果が期待したほどじゃなかった時は、本当に手間がかかるばかりで、なかなか手離れが悪い。

ミスマッチの方を採用しないための注意点というオンラインセミナーを受講しました。

大事なのは、質問や調査をよくすること。業務上の必要性で聞かなければならないと目的を説明して、合意を取ったうえで健康状態など聞くことも大事とのことでした。

スキルも大事ですが性格・人柄が会社と合うかどうかが大事なので、任意ですよ。回答したくなかったらその旨言ってください。と言ったうえで、家族との関係性などを聞くのも大事と言っていました。これは20代の若い方でしたら、尚更親子関係が色濃く出るので、わかりますね。

まー、40代50代になったら親子関係の影響もそろそろ時効だと思いますが。

発達障害の方についてもうまく見つけられるような質問例もあり、とてもためになりました。

親切はしがらみがない対人関係が前提

ここ一か月くらい一日一善に挑戦していますが、朝早くから夜まで会社にいて業務に追われ、家に帰ると最低限の家事をして寝るというようなルーティンをしていて気が付いたことがあります。

仕事中は親切をする時間も余裕も必要もあまりない。
→仕事中は以下に自分の職務職責を果たすかが問題なので、親切をしたとしてもそれは業務の一環になってしまうし、親切心が沸いてやっていることではない。

家庭での家族とのやりとりも仕事に等しい
→家族の最適解を求めてやるべきことをやるので、そこに親切心はない。

となると、親切をするということは、ほぼ利害関係が無い人にすることになってしまい、自分から会社関係と家族以外の人と合わないと無理では無いかと思っています。

できるとすれば、通勤電車の中の隣に乗り合わせた人、コンビニのレジの人、会社のお掃除の方。あと多いのは、会社に落ちているゴミを拾うとか。

本当に一人の人間として、「すべき」ではなくて、「しなくても良いけどちょっと気をきかせてすること」って探さないと無いんじゃないかと思うのです。

人と合うとか、合わなくてもその向こうにいる人の事を考えるとかが必要になるなーと気が付きました。

週末の夕食づくり

週末の夕食づくりで思うのは、一番時間がかかるのは

1、食材を切ること
2、洗い物

この食材を切ることについては、1品目作るときに野菜が2-3種類、肉1種類程度でも、野菜によって洗い方、皮の剥き方、切り方が違う。そして野菜によってはあく抜きが必要だったり。肉は下味をつけるとか。
火を通すまでの時間が結構かかるのですよね。。。


洗い物というのが、食器洗浄機で洗えないボール、ざる、鍋、フライパンが手間がかかる。料理の途中でやって、完成した時には台所が綺麗!と言う人もいるらしいですが、料理も複数作っていると時差で加熱したり、食材を切ったりしているので、洗っている余裕が無かったりする。
炊飯ジャーの内釜、味噌汁の鍋、フライパン(大)、フライパン(小)、下茹でする小さい鍋、ホットクック。これにボールとざるや、味噌漉しなど、まー洗うもの多い!

作り始めて、食べて、洗い終わるという工程は2時間くらいかかるかな。

洗い物が多くなると手が荒れがちな季節になってきたし。。。
これ以上に減らせるかしら。。。