仕事をしていればいいと思っていた。
仕事をしていればいいと思っていた。
会社勤めをして、上司に言われたこと、与えられた仕事を頑張っていれば、幸せになれるって。
でも、それは定年が来れば終わり。
収入もなくなり、話す人もいない生活。
サラリーマン時代から、社外の人と交流が多くて、趣味も多くて活動的な人が周りにたくさんいます。まわりというかFacebook上の友人。
現役時代からフリーで働いていて、仕事も成功して、仕事上とプライベートの両方の友人がたくさんいて、趣味も極めていて。。。
そんな人がとてもまぶしい。まぶしすぎる。
私はそういう人たちと違う人生でいいのだろうか。いいのよね。
憧れているのかもしれない。そういう人たちに。ということは私もそっちの方に行動・努力すれば、なれるということかな。
誉められても満足できない
誉められたいのに、誉められると大したことないと思って、嬉しくない
どんなことを誉められたいのか?
誉められることっていえば
頭のキレがいい
向上心がある
声が良い
表情がある
頭が良い
しっかりしている
計画性がある
んー、私が求めているのはこんなんじゃーないんだよな
じゃーなんだよ
お金持ちになりそう(←ならないからそう言われたい?)
成功しそう(←しないからそう言われたい?)
人徳がありそう(←ないない。ないからそう言われたい?)
先見の目がありそう(←ないからそう言われたい?)
こんな風になんとなくどこかで思っている願望を言われたいのかもしれないが、はっきりともわからない。下手な占い師に言いくるめられてお金たくさん払ってしまいそうな自分が怖いです。
本当の悩み
友達がいないということが悩みなのに、それが本当の悩みなのか。と聞かれると困ってしまう。
たぶん、、、、自己啓発本やその他の先人の言葉で
結局人間関係が一番の幸せの源泉とか、老後お金があっても友達がいないと寂しいとか、そういうのを見て、自分が今友達がいないから悩んでいるのかもしれないと思い立ちました。
友達がいなくても良い、老後は静かに暮らせられれば良いと決めてしまえばそれまでだろうか。
さすがに仕事をしている時は、会社に行けば人がいるし、土日は平日の疲れを癒しているとそれほど友達がいなくてもさみしさを感じることは無いが、会社を辞めたらとたんにスーパーやコンビニの店員以外に話す人がいなくなって、確かにさみしいかも。
定年後は、きょういく と きょうよう が大事と表現する方もいます。
今日行くところがあって、今日用事があるということが大事。って。うまい。
友達を作るには、人に関心を持つことが大事らしい。でも、、、ちょっと面倒。友達は欲しいが、友達に合わせたりするのは苦手。結局自分に都合がいい友達が欲しい。友達とは自分にとって都合がいいものだという概念が問題なのかもしれない。
なぜコミュニケーションが苦手なのか。
今まで素直に自分の事を話して受け入れてもらった記憶が無いから?
いつも相手の反応を想像して、その場で良く思われるように反応していたから。
学校でも、家でも、習い事でも、部活でも、プライベートでも。
どんな時に嫌な思いをしたか、思いつくままに書いてみることとする。
子ども・学生時代の多感な時
周りの人と同じ回答をしたら、先生にあなたは違うでしょ。と言われてショックだったこと。
皆と同じように騒いだつもりだったのに、一番悪いのが私だと言われたこと。
学校混合で集まった時に全く自分の意見が無いから話すことが無かったこと。
モテていると思ったけど、全くそうではなく単に当て馬だったこと。
良い子発言をして、周りの人が引いていることを全くその場ではわからなかったこと。
優しさが足りないと言われたこと。
自分ばかりよい成績を取ってもダメだと言われたこと。
成人してから
その場で笑いを要求されていると思って笑ったのに、全く笑いが求められていなかったこと。
多分友人の悩みに寄り添えて上げられなくて、友人に縁を切られたこと。
その場で共通の話題以外は、何を話していいのかわからなくて、雑談が苦手。大なり小なり人は嫌な思いをしながらコミュニケーションしてきたと思うんだけど、なんでかなーといつまでも考えてしまいます。
物事には両面がある
なんとなくしょっちゅう自分でネガティブな気分、思いにとらわれてしまうことがある。だいたい毎日同じことなのに。
友達が少ない。
心を許せる人がいない。
生き甲斐が無い。
物事何でも両面がある。とよく耳にするし、自分でも何かの評価をするときに言うので、それが真実だとしたら、
友達がいないから、人に頼ることなく判断して生きてこられた。
心を許せる人がいないから、人にも騙されることが無かった。
生き甲斐が無いなら、仕事に打ち込めた。
仕事は人一倍頑張ってきた。それもこれも、愚痴を言ったり、人に相談する気持ちが無かったからとにかく自分を信じて、その場で一生懸命になれたのかもしれない。
すべて良いか悪いかではなく、過去の結果が今なのだとすれば、今の良いことが過去の結果だと思うしかない。
四六時中
良く聞くのは、
好きなことをして生きたい、好きな仕事をしたい。
私には好きなこととか好きな仕事というものが思い浮かばない。それなら得意なことはどうか。
これもまたなにが得意かは自分でこれと言える訳でもない。
好きなことと得意なことの掛け算が成功の秘訣だと。好きなことは四六時中考えているのだから、結果として上達する、成功するらしい。
私の四六時中考えていることを意識してみるとか、大したことがなければ四六時中考えることを作れば良いということになる。
今平日に四六時中考えていることは、たぶん仕事の事。そして仕事の中でも人間関係。
それ以外は、腰痛のこと。
あまりどちらもあまり楽しい事でも考えたくて考えていることではない。
週末は、やるべき家事のこと。やるべきことを終えるとスッキリと気分がハレバレするが、家事自体が楽しいかと聞かれれば、そうでもない。
全く一人の時間に何を考えているか。ということになると、たぶん孤独ということになるかもしれない。自分が心を許せる相手がいないということ。ここから抜け出すのがなかなか簡単ではない。
聞く力 傾聴
傾聴が大事だと意識はしますが、なかなかできない。
聞くそぶりはできます。
感嘆とか称賛とか、リアクションもできることも多いです。
ただ、本当に話し手の気持ちを受け入れているかどうかは疑問です。
話を聞きながら、次に何を返事しようかなーと考えていることが多いかもしれません。聞いているようで自分が話したいのです。
もっと言うと、聞いてあげている私は誰にも聞いてもらえないという気持ちもあります。
話を聞いてばかりで、自分の事を話さないと疎外感を感じて自分は理解されていない、興味を持ってもらえていないと思うし。。。傾聴するにも、自分の心が満たされていないと、聞くってできないのではないかと思ってしまいます。
どうすれば良いのか。聞く場と話す場のバランスを考えるのが苦手なのかもしれません。ここぞとばかりに話し始めると、心の奥底の重たい話をしてしまって、びっくりされることもあります。
あー、話すことと聞くことのバランスを知りたい。